冠婚葬祭マニュアルは、儀式の型を学ぶためのマナーブックだと私たちは思っている。しかし、迷信、優生思想に彩られた戦前のマニュアルは、重要な事実を教えてくれる。「しきたり」「常識」「心得」といった口当たりのいい言葉の裏に、看過できない差別思想がじつは隠れているかもしれない、ということである。役に立たないだけならまだいい。有害な思想をそれらが撒き散らかしていたとしたら、責任は誰が取るのだろう。こうなる理由はけっこう単純で、マニュアルの書き手は既存のマニュアルを参考にするからだ。この連鎖を断ちきるのは容易ではない。もしあなたが冠婚葬祭マニュアルを書けといわれたらどうします?自信がないから既刊の類書を絶対見るでしょう?一〇冊が一〇冊同じことを書いていたら、それが常識だと思うでしょう?それですよそれ。それが証拠に、冠婚葬祭マニュアルの思想は、戦後になっても変わらなかったのである。
「老いてふたたび稚児となる」という表現は、たしかに老人ボケのはなはだしい状態をさしているのだろうが、一方には若水を飲み過ぎて、タイムスリップしてふたたび幼児化してしまったという民話にも反映するような、もう一度生まれかわりたいという幻想を言い表わしているのかも知れない。人の霊魂は、老・病・死を経て、あの世に転生して、またふたたびこの世に出現することを可能にしている。したがって出産にともなう儀礼は実に細やかであり、丹念なやり方を特徴としているのである。これまで述べてきたように、この世に生命が誕生することへの不思議な思いは、それぞれの民族の霊魂観と深く結びついている。妊娠五ヵ月目は、古くから一つの折り目になっていて、とくに戌の日というのは妊婦がオビをする日になっていたことはすでに述べた。犬が身近な家畜として人間とともに生活しており、人は犬のお産がきわめて軽かったことを目のあたりにして、安産を願って縁起をかつぎ定めた日であった。
「手の内を見せる」という言葉どおり、手の内側を見せることは安心感を与える。たとえばコップなどを人に渡すとき、身体の内側も相手に向け、コップを持った手の内側が相手に向くようにして、左手を添えて渡すとよい。小さなものを渡すときは手のひらを上に向けて渡す。手の甲を相手に向けた状態は心理的に防御しているように感じられるのだ。「手の内」で相手との距離を近づけよう。「ちょっといい?」と、背後から声をかけてくる同僚。振り向いたら突然そばに立たれていて圧迫感を感じた、という人がいた。人と人との距離感については多くの研究がされているが、80m以内は家族や恋人の距離。これを侵すと相手を緊張させてしまう。ビジネスでつかず離れずのほどよい距離感は約1.2m。とくに女性はナーバスなので、男性は配慮しよう。